妊婦だって叫びたい。「コロナのバカヤロー!」

思えば私は、妊娠発覚からいままでずーっとコロナ禍の特殊な状況下にいて、おそらく出産までこの状況は多少の緩和はあれど変わらないだろうと見込んでいます。あゝ・・無常。そこで今日は、感じていることを吐き出すように徒然書きたいと思います。

どうしても思ってしまう、コロナがなければマタニティライフはもっと楽しかったんじゃないかな。。という思い。

コロナウイルスの話が本格化してから、妊娠中の自分はずーっとソワソワしてきました。女性として生まれて、いつか子供を持つ日がくるということは心待ちにしてきていて、やっとお腹に宿ってくれた命。

本来なら、その喜びをひたすら噛み締め続けるトツキトオカだったんじゃないかな。と、どうしても思ってしまう自分がいます。

私はマタニティになったら、白いレースのワンピースを着るのが夢でした。しかしまだ実現していません。レースのワンピースって、試着してみないととんでもなく太って見えそうだし、やっぱりお店で色々比較して、長く使えそうないいものを納得して買いたいな。と思うので、まだ買えていません。臨月になる前にお買い物できたらいいなぁ。

奪われた「幸せな妄想」の時間。

一般的には「マタニティライフ」という言葉があって、つわりや妊婦特有の症状で悩みながらも、生まれてくる子供の性別だとか、ベビーベッドをどうするだとか、ベビーカーはどんなのが良い?だとか、どんなお母さんになりたいかとか、

そういうことを頭の中でひたすら巡らせて、旦那さんとベビーグッズ売り場に出向いたり、ニトリやイケアに行って実際に商品を手にとって購入を迷いながらも「幸せな妄想」に浸っていたんだろうな。と、やっぱり思うわけです。

妊婦は2週間に1回とか、4週間に1回は「病院」に通うわけですが、それも胎児の成長を見に行けるハッピーな時間だったはずです。今では院内感染の恐怖心がその気持ちを6割ぐらい削っている気がします。個人差はあれど。

そして初孫を心から喜んでいる高齢の両親にも、もっと頻繁に会いに行っていただろうと思います。

大好きなディズニーランドにも、夫婦二人の最後のディズニーとして、ちょくちょくお散歩に行きたかったな。子供がいるとなかなかいけないようなレストランにも行って食べ納めしたかった。リラックスのために近くの温泉に行くとか、そういうプチ贅沢もしたかった。

「○○したかった」が口癖の、妖怪「アレシタカッター」が満を辞して生まれそうな勢いです。

「親になる実感がまだちょっと薄い」気もする。

両親学級や授乳教室も全部キャンセルなので、親になる実感を感じる機会が、通常時のパパママよりも少ないんだろうな、なんて思ったりもします。

自分の免疫力を高めることに精一杯で、在宅ワークに慣れることにも精一杯で、3食夫婦でご飯を工面することにも精一杯で、「胎教」とか考えていられないなぁ。とぼーっと思ったりします。

世界の中心で「コロナのバカヤロー」と叫びたいもやもやした気持ち。

家族に不安や不満を言い続けるのも生産的じゃないし、職場の人に共感を求めるのも変な話し。コロナで苦しいのは「みんな同じ」なわけだから、妊婦だけが特別苦しいわけじゃないのもわかってはいるんです。

家族もいまのところは無事で、医療従事者の方々の必死の検討があることには感謝しかない。日本政府だって色々言われているけど昼夜問わず稼動して考え続けてくれている。

色々わかってはいるんだけども、「コロナのバカヤロー!!!!!!!」と大海原に向かって大きなお腹をさすりながら叫びたい衝動と心に抱えながら、今日もステイホームしています。

ああ、吐き出してしまった。職場の人も家族も、妊婦にはやっぱり気を遣ってくれるので、日常では「意外と大丈夫ですよ」が口癖です。でも、もやもやはちょっとずつ着実に積み重なっていると、実感する今日この頃。やっぱりもう一度言いたい。

「コロナのバカヤロー!」

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